ちわ〜…らびろぐ管理人らびです。
宇佐崎しろ先生がアクタージュの事件についてのメッセージをツイートされました。
アクタージュ読者の皆様へ pic.twitter.com/ewuOZR2ALB
— 宇佐崎しろ (@uszksr) August 24, 2020
あまりにも、あまりにもしっかりとした文章に涙が出ました。
こんなに人間的にしっかりとした方が作画をされていたんだ、と改めて実感するとと共に、
原作の下劣さ、卑劣さ、責任感のなさに憤りを感じます。
誰が悪いのかをハッキリと
しろ先生も仰っていますが、
「作品を惜しむ声が被害に遭われた方に対しての重圧となることは絶対に避けるべき」
私もそう思います。
私はTwitterでの情報収拾をよくしますが、
アクタージュの件を調べているときにとんでもないツイートをいくつか見ました。
掲載はしませんが、
「別に減るもんでもないしいいだろ」
「偉大な作品の前に市民は我慢するべきだ」
ハッキリ言ってありえません。
こいつらは第二、第三のマツキタツヤ予備軍と言っても過言ではない。
話が逸れました。
誰が悪いのか。
それを念頭において、自分がSNSで発信する言葉が「誰を傷つけるのか」。
それをよく考えないといけないなと、しろ先生のコメントから感じました。
被害者は悪くない。
宇佐崎しろ先生は悪くない。
ジャンプも悪くない。
ただ、すべての悪は「マツキタツヤ」にあります。
他の誰かがもうこれ以上傷つく必要はありません。
最後に
しろ先生のコメントを読んで、
この先例えマツキタツヤの刑期が終了したとしてもアクタージュは戻ってこないということを感じました。
「アクタージュ」という作品そのものを見ることによってそれらが誘発されたり、苦痛を与える原因になる可能性を考慮して、作品の終了は妥当だと判断しました。
この部分ですね。
犯罪の記憶を想起させてしまう、この一点においてはもうどうしようもないことです。
自然に癒えるものでもなく、時間が解決するものでもない。
断腸の思いだったと思います。
もう30歳にもなろうという原作者が、
22歳の作画のしろ先生に背負わせるものにしては重すぎます。
このコメントを見て、
ああ、しろ先生はきちんと責任を果たしてくれたと私は思いました。
願わくば次回作がアクタージュを超える素晴らしい作品でありますように。
願わくばしろ先生に漫画家としての幸多からんことを。
以上、らびろぐ管理人らびでした。